訪れるだけでも楽しい新井の郷
 
 
 
 
 

 
 新井自治区は丹波市柏原町の西側に位置し東に国道176号、JR柏原駅、北東にJR石生駅、西に国道175号線、校区中央東西に県道290号線、農面道路、南北に県道291号線。北山を中心に半径2km以内に、新井小学校・新井幼稚園・児童クラブ、柏原西保育所・工業団地、ショッピングモール「コモーレ丹波の森」、自然を体感できる「悠遊の森」、木と触れ合う「年輪の里」、石戸の観光農園、春は桜やほたる・秋には新井神社での大祭・城跡・紅葉など、四季多彩にとんでおります。

 

 挙田(あぐた) 横顔
 農業地区で、市内酪農発祥の地と言われていますが、現在その面影はなく、椎茸栽培が盛ん。南西部の六柱神社は挙田の天王様と呼ばれています。
〜旧きと新しきの融合郷〜
 埴輪が出土したこともある挙田は、古くから人々が生活を営んできた土地。現在は幹線道路に山、住宅と田園が融合した良好な環境で知られています。
 また東西に短く南北に長い地形の地区内の東の山に妙見宮、南東に釈迦堂、山中に不動堂、南東から風害を鎮める風天さん、真南に鎮守の六柱神社、西に地蔵堂と四方に神仏が祀られているのもめずらしいこと。
 妙見宮の例祭では毎年4月24日に妙見菩薩の真言を千回唱え、手肴、品持参の会を食したり、六柱神社では、毎年10月に約3000個のもちまきを行うなど、住人は日々地区内の安泰と平和を祈願しています。住民たちが「いぼり不動産」と親しみ込めて呼ぶ8月のお不動尊では、公民館広場で盛大な夏祭りも開催。老若男女が踊り輿じます。

 このような伝統的な神仏祭祀に加え、住民参加型運動会も毎年恒例行事として、すっかり定着。旧きと新しきが融合する里では、人々の絆がふかまっています。
                                      

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大新屋地区

 大新屋(おおにや) 横顔
 十一面観音菩薩を祀る三宝寺や七つ塚と称する6世紀のものと推定される古墳。 室町時代に築城された高見城山など歴史遺産に彩られた地域です
〜人の集い育む伝統と革新〜
 深い緑に包まれた大新屋では、新旧の住民が親睦を図るために夏祭りや敬老会、子供会など様々な催しを運営、古くから伝わる伝統行事も村民協力のもと受け継がれています。6世紀頃に創建され、平安時代の法令集にも記されている新井神社は近隣5集落の総社。
 毎年盛大に行われる秋祭りは、住民たちの大きな楽しみとなっています。とりわけ興味深いのは宵宮で奉納される「新法師踊り」風流(ふりゅう)小謡の踊歌に合わせて踊る神事芸能は、江戸時代初期に伝えられたと言われ、今では町指定の無形文化財として保護されています。
 また石見神社は、隣村との領地争いを囲碁勝負で解決した谷垣石見守が祭神の神社として有名。平成4年には、日本一大きな石の基盤も奉納されました。
 他にも、登山者で賑わう高見山や近隣住民の信仰を集める三宝寺など、名所・寺社が豊富な我が地区。人々が集い、新しい時代を担う集落でありたいと願っています。
                      

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 東鴨野(ひがしかもの) 横顔
村が出来て500百年以上。西方の御大師堂では毎月旧暦21日に、各戸より御供物をお供え、お祀りした後、御供物を参拝者全員でいただく風習が残っています。
〜人々のふれあい育む伝統行事〜
 柏原町の西方山麓にある東鴨野。武運の神神が祀られている産土神八幡宮の境内からは近くに新井小学校・幼稚園・児童クラブ遠くには柏原中学校まで臨むことができ、この場所から描かれた旧体育館の絵は今でも新井小学校に飾られています。
 伝統的な祭事には月待祭・愛宕祭・御大師祭があります。月待祭は毎月旧暦の二十三日夜の月を交代で祀り拍子木を鳴らして村内に準備が出来たことを伝えます。参拝者が揃うとお月様に御供物を供え般若心経を唱え村中安全を祈願します。古くは月の出を待ち眞夜中にこの行事を行っていました。愛宕祭は毎年8月24日各戸より奉納された松明を神社境内で焚き村中安全を祈ります。紅白の幕を張り提灯を飾った愛宕燈に海山の幸を供え夕刻からの祭事の後、和やかな団欒が続きます。毎月の御大師祭には各戸順番でお膳をお供しお祀りしています。古代より大切に守ってきた神仏の祭事をいつまでも継承していくよう村民一同心をひとつにしています。
                           

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 鴨野(かもの) 横顔
 西は氷上町と接する集落。高見城跡や加茂神社、産土神、虚空堂蔵、風の坊、石風呂、古屋敷跡など多くの史跡や景観に恵まれています。
〜静かな庵寺と賑やかな花見〜
 柏原町の最も西に位置する鴨野地区。その西方の山麓に佇む東光山延寿寺は通称庵寺。
 「山々を 流れて落つる 西奥の 山の出水も たのしかるらん」と詠われています。
 養老年間(
717〜724)に鴨庄神池寺の分院となったと伝えられており、本尊には、十一面観音菩薩、釈迦如来、弘法大師の御三体を安置。
 また尚涅槃像の大掛軸なども保在されています。江戸期、光格天皇時代には三宝寺第十世九淵機和尚の別院として三宝寺一四世陵山貫和尚もここに隠居しました。 その後は尼僧が奉仕しましたが明治23年以降は無住に荒廃もすすんだので翌24年に庫裡に改造しました。長享年間(約520年前)、加茂神社建立の際に植樹さ
れた桜も鴨野を語る際、筆頭に挙げられる銘木、見事に咲き誇る花の観賞には、毎年市内外から人々が来訪しています。
 鴨野地区では盛大な花見会を開催。多くの人の心を和ませる、年に1度の美しい光景です。
                                 
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 北山(きたやま) 横顔
 明治43年の新井村役場設置以来、旧新井村の中心地でした。又、北山稲荷神社境内のモミ、シラカシは丹波市名木百選に指定されています。
〜歴史とモミの木に誓う新しい村づくり〜
 高さ約42m、幹回り約4.3m。周囲の木々よりひときわ強い存在感を放つモミの木は、私たち住民の誇り、市内最高樹齢と伝えられ、地区の中心にある北山稲荷神社(1656年創建)の社殿前で毎日の暮らしを見守っています。
 神社境内には、日本一の名工と賞された源照信(丹波佐吉)の名作「石狐像」が、牡丹の花を浮き彫りにした台座の上に立つその姿は、使獣としての気品と風格を漂わせ、見る者を凛とした心持ちにさせます。
 豊かな歴史を土壌にもつ私たちは、伝統的な行事を末永く継承していこうとの思いから、明暦2年以来の年々の記録を残す祭事を現在も続行。
 また「ふれあいで活力あふれる村づくり」をスローガンに、住民全員参加の「村づくり」を実践中。時代に対応した取り組みを積極的に取り入れて、みんなが愛着を持てる村を作ろうと努力しています。
       
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 田路(たじ)横顔
 かつては柏原川の氾濫など悩まされましたが、美田化の努力が実った現在。ナス、きゅうり、トマト、ピーマンなどの夏野菜を主に出荷しています。
〜四季折々の行事にあふれる笑顔〜
 玉入れや綱引きで競い合う組対抗運動会と花見宴の春。出店や音頭、各地の太鼓グループや大道芸などで賑わう夏の地蔵盆。マジック、民謡踊り、カラオケなど自慢の芸を披露する素人芸人大会や抽選会で盛り上がる秋。
 そして古い農機具や懐かしい写真の展示、そば打ちの実演、米のすくい取り、イノシシの丸焼き、餅つき、地元野菜の販売など初冬の一日を彩る収穫祭。
 我が田路地区では、季節ごとに楽しい行事を開催。人々の愉快な笑い声が絶えることなく聞こえてきます。これらのイベントは先祖代々村に住む人と新しくこの土地に根を下ろすことになった人が仲睦まじく暮らせるように、との願いから始まったものでした。そもそもこの辺りは、のどかな田園風景が広がる純農業地域。やがて高度経済成長とともに、バイパスや住宅開発が進む土地へと変化。
 現在では、新しく村に入ってきた人が村の全人口の約3分の1を占めることになったのです。人々が集い合い。刻んでいく新しい田路の歴史。今日もまた、みんなの笑顔が輝いています。
                     

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 母坪(ほつぼ)横顔
 明治末期から昭和10年代まで柳行李の原材料である杞柳が現在は椎茸が特産品。妙見宮北端には天正年間頃の母坪城跡があります。
〜私たちの誇り、母坪の妙見さん〜
「母坪の妙見さん」近隣集落の人々からもこのような愛称で親しまれている小島山妙見宮は、猪ノ山・泉山の山並みの中心に、1865年に創建されました。1899年には稲畑・母坪両部落所有の寄進で、山頂に小島遊園地を造成。抜群の眺望を誇る市内初の公園として、妙見さんへの参詣や春の花見などで多くの人が賑わう名所となりました。
 妙見宮は、創建当時から堂守または僧侶が護持管理にあたり、隆盛を極めましたが、1964年頃より僧侶無住に。以来住民たちでお守りしていますが春の妙法講・秋のお会式法要には隣市妙福寺住職をお招きし、お勤めを果たしていただいております。また母坪柏友会のみなさんの清掃奉仕で、境内や遊園地・参道が常に美しく清潔な環境を保持しているのも誇らしく、素晴らしいことです。

 先代・先人が地域に遺してくれた寺院を守るために。新しくい居住してきた方も、代々母坪に暮らす人も、心をひとつにして、全住民で次代に引き継げるよう、取り組んでいきます。                       

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 挙田雇用促進住宅
(あぐたこようそくしんじゅうたく) 横顔
 毎年たくさんの事業を手掛ける地区。子どもみこしやマジックショー、消火訓練、地区清掃業、クリスマス会、日帰りバス旅行など、人々の笑顔があふれるイベントは大好評です。
〜子どもも大人も、みんなで豊かな地域づくり〜
 JR福知山線の電化や近畿自動車道の開通など交通網の整備により、近隣とのアクセスがスムーズになった柏原町。この地に居を構え、暮らしを立てる人も多くなってきました。
 挙田雇用促進住宅は、雇用促進事業団が就職のために移転した人を対象に建設した住宅。転出する人、転入する人が多いにも関わらず、地区の催しにはたくさんの方が参加し、お互いの親睦を深めています。
 とりわけ、高い人気を誇るのが子どもから大人まで楽しめるまつり。かき氷や、ヨーヨー釣などで賑わう夏まつりには、多くの人が集い、交流します。また「ワッショイ」のかけ声を響かせながら、新井神社まで練り歩く秋祭りも子どもたちにとっては楽しみのひとつ。道中、近所の人から声援を受けたり、他の地区の人々とちびっこ外交をおこなったり、我が地区の顔となって大活躍。子どもたちが胸を張れる地区であるように。みんなで豊かな地域づくりに努めたいと思います。
                          

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 市営住宅挙田団地
(しえいじゅうたくあぐただんち) 横顔
 古い歴史を持つ地区が多い町内に新しく誕生した挙田団地。自治会を中心に、住民の笑顔が絶えることのない快適環境を目指しています。
〜活動を通じて住みよい環境づくり〜
 平成9年12月に柏原町が策定した柏原町営住宅建替基本計画に基づいて平成13年2月、挙田地内に現在の町営住宅挙田団地(鉄筋コンクリート造5階建、48戸)が建築されました。そして、昭和39年に建築された北中教職員住宅、昭和40年に建築された町営住宅見長団地、昭和42年に建設された同東奥団地が廃止され、この3団地は挙田団地の建設にあわせて移転されました。
 その後、入居者らで組織する町営住宅挙田団地自治会が、平成14年8月に発足しました。平成16年8月現在の総人口は120人、世帯数は46世帯となっています。発足以来、当自治会では、毎月第3日曜日に全世帯を中心とした団地内の清掃作業をはじめ、代表者らで構成する役員会等を行っており、こうした活動を通じて、住民の連帯意識の高揚と住みよい環境づくりに日々努めています。

                                      

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 石戸(いしど) 横顔
 「石戸」という地名は、寛政6年(1794)に著された「丹波志」の中で記載されてます。現在は、栗・ぶどうの観光農園が有名で、休日は家族連れで賑わいます。
〜我が一路会、フロンティア・スピリット〜
 柏原町の最南端に位置し、柏原町全体の6分の1を占める石戸は小さな集落。
 昭和20年11月23日、旧
新井村の分村計画で生まれました。その日鍬入れの式典で当時の村長田口昭造氏が通称石戸部落と命名。正式に地名変更へとたどり着いたのは、平成12年11月24日付兵庫県公示1463号によるもので、実に入植から55年の歳月を要したのです。少ない世帯で力を合わせて来た全住民にとって、この瞬間は言葉に尽くせないほどの感慨深い思いがありまあした。
 入植当時から桃源郷づくりのために、一致団結してきた私たちも親睦団体として、山本有三の文学作品「真実一路」に因んだ「一路会」を結成し多くの努力をかさねてきました。その真髄は、子へ、孫へ、と受け継がれ、今ようやく集落として形を整えてきたように思います。毎年11月23日の入植記念日には「一路会」を開催、先人の偉大なる足跡を偲ぶとともに、世代を超えたフロンティア・スピリット(開拓魂)を再確認。これから訪れる様々な課題へのチャレンジ精神を心新たにしています。
          
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 新井工業団地
(にいこうじょうだんち)
大新屋の北側の土地を埋め立てて新井工業団地は造られました。各、企業に於いては緑化され、春には桜・冬にはイルミネーション、美しい景観と共に、多くの雇用を生み出して頂いております
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